さとうしんゆうの駅伝大ブレーキ回数&ごぼう抜き&大逆転したおはなし

【箱根駅伝、青山学院大学6区西川選手の記事、シェア】
 群馬・市立太田高出身の西川は、努力に努力を重ねて、4年目の箱根駅伝で学生3大駅伝デビューを果たした。卒業後、医薬品メーカーに就職し、競技の第一戦から退く西川にとって最初で最後の晴れ舞台だったが、苦しい20・8キロとなった。東京・大手町のゴールで仲間と合流した西川は悔し涙を流していた。タイミングを見計らって私が話しかけると、時折、言葉を詰まらせながらも誠実に答えてくれた。
 「体が動かなくて焦って、頭が真っ白になってしまいました。レースのことはほとんど覚えていません。函嶺洞門(17キロ地点)で家族が応援に来ていたはずですけど、全く分からなかった。でも、残り1キロで往路組の3人(1区・目片将大、2区・近藤幸太郎、4区・太田蒼生)が一生懸命に応援してくれていることだけは分かりました。そこから最後の力を絞り出したつもりですけど…。僕が1年生の時に、最初で最後の箱根駅伝で6区を走って活躍した谷野航平さん(区間3位)に憧れて、僕も谷野さんみたいになりたい、と思って、ずっと下りの練習をしていました。6区出場が決まったのは1日の昼でした。(12月29日に)6区登録されたので、1月3日にしっかり走るという準備をしていたつもりでした。でも(脇田に交代予定だったので)心のどこかで『走らないから』という気持ちがあったのかもしれません…。優勝がチーム目標だったのに、僕が流れを断ち切ってしまった。それでも、また、3位まで順位を戻してくれた。チームメートには『本当に申し訳ない。ありがとう』と言いたいです」
 それから、ちょうど24時間後。原晋監督の承諾を得た上で、西川に再び声をかけると、昨日より明るい表情で話した。
 「昨日、選手寮に戻ってから、みんなで箱根駅伝の録画を見ました。自分が走っているシーンを見るのはつらかったけど、みんなが笑いながら『西川、頑張れ!』とテレビに向かって叫んでいました。イジってくれてうれしかったです。感謝しています。本当に仲間に恵まれました」
 
 今は絶望感でいっぱいだと思うけど、将来、おじさんになった時、箱根駅伝でブレーキした悔しさや悲しみよりも、箱根駅伝を走れた喜びの方が、きっと大きくなる。

 箱根駅伝を目指して仲間たちと走った日々を誇らしく思う時が、必ず来る。

 そう思うし、そう願っています。(箱根駅伝担当・竹内 達朗)

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…ステキですね(*˘︶˘*).。.:*♡

 僕の陸上人生の中では過去、中學(3回)・高校(1回)・社会人(2回)と、主要な試合(駅伝)で、大ブレーキの経験があります😱
※もっとありそうです(@_@;)

 大ブレーキのあとって、毎回めちゃめちゃ落ち込みました(T_T)

 でも、たくさんの失敗を経験したからこそ、駅伝の走り方がわかるようになり、想いを繋ぐ駅伝が大好きになりました(^^)

 箱根駅伝の前!元旦にニューイヤー駅伝のラジオを聴いてたとき、太田選手が18人抜き(ゴボウ抜き)の区間賞獲得って紹介されているのを聴いて、"すげーっ"て言ってたら、妻に、「駅伝で、何人ゴボウ抜きしたことあるの?」って質問されて、「奥多摩溪谷駅伝のときの55人だよ」って答えたら、「えーーーーΣ(゚Д゚)ニューイヤー駅伝で走ってるチーム数より多いじゃん」ってビックリされましたΣ(゚Д゚)
※調べたら、ニューイヤー駅伝の出場チームは36チームでした(@_@;)

 また、駅伝アンカーの経験談ですが…2015年の大和市駅伝(中央林間チーム)では、トップと4分30秒⁉でタスキリレーしたあと、アンカー(6.13km)で走り、逆転して優勝🏃💨

 2016年の式根島マラソン(神奈川ボンバーズ)では、トップと5分差でタスキリレーしたあと、アンカー(6km、アップダウン)で走り逆転優勝🏃💨 

 箱根駅伝とは比べ物にならないお話ですが…たくさん大失敗(大ブレーキ)もあれば、ごぼう抜きや大逆転した経験があります(@_@;)

 駅伝は、想いを繋ぎながら走るので、とっても樂しいですね(*˘︶˘*).。.:*♡

 青山学院大学の西川選手は、よき仲間と出会えて幸せですね(*˘︶˘*).。.:*♡

 これからも、青山学院大学さんを応援しつつ、タムタムの活動を通じて、駅伝の樂しさを伝え
続けていきたいと思います(^^)

 

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